
昭和女子大「新体詩祖之碑」「酔茗詩碑」の改修、
解説看板設置工事が完成 令和6年4月20日
新体詩祖之碑 解説看板 酔茗碑
(背面)には、新体詩抄撰者・外山正一 矢田部良吉 井上哲次郎
御三方のお名前と略歴が刻印されている
碑の背面には酔茗略伝
解説看板





吉田昌志教授(副学長)、比嘉秀之(総務部部長代理)、菅佐原智治(鎌倉漱石の會)、内田かおる・他のみなさん
解説看板起稿者
吉田教授(中央)から
碑文の説明を受ける
取り組みの経緯
酔茗の出身地(大阪)堺市には詩碑があるが、関東にはないと思っていたところ昭和女子大学校庭に河井酔茗詩碑、新体詩祖之碑があると知り訪ねてみました。確かにありましたが、歳月を経て刻印文字が殆ど判読できない状態だったので「この石碑を蘇らせよう」と思いつき、同大学に改修と解説板設置の提案を行い数回の打合せを経て一年がかりで完成させました。
二つの石碑が60年の歳月を経て刻印文字が殆ど判読できない状態になっているので昭和女子大学に対して「見易く改修するためのご提案」(令和5年1月)を行いました。以後数度にわたって榎本美恵子、内田かおる、河井典子が同大学を訪れて相談。清掃メンテナンスと学生が読みやすいように解説看板を作ることを相談しました。
石碑のメンテナンス費用は大学が、看板(立札)についてはゆずり葉の会で負担しました。
看板製作費 630,000 消費税 63,000 合計693,000円
★解説文を起稿して下さった吉田昌志教授(副学長)のご配慮で島本久恵、惠也、融先生のお名前も刻印され島本家の文学的功績が後世に残ることになりました。
河井酔茗も島本惠也も昭和女子大で教鞭
*河井酔茗は同校の夏期講習で講義をしていました。
*島本融先生も一時期「講師」として同校に籍を置いていました。
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昭和36年、昭和女子大に二つの碑建立の経過
日本詩人クラブが目黒区の用地に酔茗詩碑を立てたいと交渉したが断られた。そのため昭和女子大の創始者・人見円吉先生が土地を提供しました。除幕式には文庫派関係者が多数集まったそうです。詩碑は賛同者の寄付で造られました。
除幕式は昭和36年5月7日(日) 室生犀星が祝辞を述べ、文庫に投稿していたフランス文学「星の王子さま」翻訳者の内藤濯が詩の朗読を指導している。河井酔茗作「嗄れゆく声」を詩朗読有志が朗読し、花柳千代車中「荒城の月」等の舞踊があり、河井酔茗作「寧楽の都」の独唱もありました。大学校庭には「河井酔茗詩碑」「新体詩始祖之碑」が並んで建っています。新体詩祖之碑には新体詩祖抄撰者として外山正一氏・矢田部良吉氏・井上哲次郎氏の名前が碑背に刻まれています。
人見東明(円吉)先生は、昭和女子大学の創立者であり、河井酔茗とは詩、文学を通しての盟友である。二つの碑は、円吉先生のご尽力で昭和女子大学校庭の一角に設置されました。
