

河井醉茗 島本久恵 島本融
供養と顕彰 ゆずり葉の会
〒343-0805 埼玉県越谷市神明町2-214-5 榎本美恵子
TEL 048-978-2651 Eメール enomotojuku30@outlook.jp
島本融先生ご逝去から3年
中目黒駅から先生宅へは、商店街が軒を並べ緩やかな登り、下り、また登りの坂道が続く。八幡神社を過ぎると島本邸だけが緑の木々に囲まれている。かつて島本久恵先生ご健在のころは「塔影詩社」の立札が出ていたが歿後は撤去された。春先は、青空に輝く白蓮がひときわ美しい。晩秋には紅葉の絨毯ができる。河井酔茗の代表作の題材となった「ゆずり葉」の木が伸びていた。先生の愛した島本邸の四季折々の佇まいである。
家族で中目黒の新居に引っ越したのは昭和13年。島本邸は多くの文士達が「簡素ながら気品ある住宅」を贈呈しようと「河井酔茗記念会」を設立し、白秋、光太郎、素一、夜雨、清白、赤彦ら53人の賛同者により580円の寄付が寄せられ、建築費の一部に充てられた。
その時酔茗は、新居の窓越しに見た眺めを「木は自生の椿、白く見えるのは宅地造成材の大谷石、向こうの丘は夕日が丘」と記しています。
多くの文士達が三々五々集まり文学論議は絶え無かったという。人が集まる場には茶や菓子が欲しい。それを心配して文士が持ち寄った。くる病に冒され歩行不能な横瀬夜雨も中山省三郎に背負われてやって来た。伊良子清白は祝賀会出席のため上京、島本邸に滞在し藤村や白秋に会った。与謝野晶子も酔茗を頼って堺から上京した。その後酔茗もまた小浜の伊良子清白を訪ねている。
ここから「長流」「塔影」「無弦弓」「玉虫」「燐片記」など多くの著書が生まれた。島本邸に残されていた数千冊の蔵書は明治、大正、昭和の日本近代文学の歴史である。
この家も長い時を経て雨漏りするようになった。その都度、先生は修理を繰り返していた。先生は古くなったこの地のこの家で生きることしか考えなかった。昔の文士達の声が聞こえていたのだろう。ご両親の温もりを感じていたのだろう。塔影詩社の社友の皆さん、縁故の皆さんをこの島本邸で見守り続けていたのだろう。
令和6年5月下旬、島本邸を訪ねると既に更地となり不動産業者の大きな売地看板だけが立てられていた。祇園精舎の鐘の音は聞こえなかったが、その石段左隅に昔の面影を残す笹竹が青々と伸びていた。
先生没後の3年間、「ゆずり葉の会」はいくつかの取り組みを行ってきたが、私たち自身が高齢者で行動力に限界があった。さらにご自宅が家裁の管理下に置かれていて先生の知人名簿が入手できず周知に困難があった。このような事情で十分な活動にはならなかったが、この間の主な取り組みについてご報告させていただきます。
彼岸の墓参
令和4年9月の彼岸のお墓参りは、朝から台風接近で大雨の予報通り小平霊園も雨が降りしきっていた。「月は廂に浮び出でて九輪の影は水に在り」と墓石に刻まれた酔茗の句が雨に濡れている。息子の融さんを待っているのであろう。
この日、参加された方々は卒業後も先生と交流されそれぞれが都合の良い時に先生をお助けしてきた皆さんである。風雨強まる中早々の散会となったのが心残りであった。でも初めてお会い出来た方もあり島本先生が繋いで下さったご縁なので大切にしていきたい。
三回忌 令和5年9月、三回忌を開催。好天に恵まれ、小平霊園へ集った。でもまだ融先生は埋葬されてはいない。伸びた草を刈り清掃すると酔茗の句が鮮やかに浮かび上がった。生花を供え、線香の煙が消えるまで眺めた。
橙屋で会食しながら先生の想い出話になった。先生の憎めない皮肉にくすっと笑った日。真剣な話にヒョイとでる冗談。それはもう半世紀前のこと。
内田さんが、祖父茜江氏の蔵書の中から酔茗、久恵さんの葉書、著書を持参され順番に手に取り見せて頂いた。貴重なものばかりで恐れ入りながら拝見しました。
形見分け 島本邸は、明治、大正、昭和の蔵書が詰まった文学の宝庫。茶色い紙に包まれた破れ穴から「塔影」も見えた。この箱はもしかしたら「書簡?」、暗がりにぼんやり見えた変体仮名。その分量は数トンに及ぶであろう。大部分は近代文学館に遺贈されました。閑静な文教の街、駒場の日本近代文学館においてその歴史を偲び島本家蔵書に想いを馳せて頂ける日が来ることを願う。
私は、縁故者の方々への「形見分け」を行うため、「塔影」一揃いと「知人名簿」の提供を家裁に要請していました。2年間待っても実現せず諦めかけていましたが、本年(令6)2月10日、相続財産管理人のご配慮で実現しました。
島本邸に午前10時集合、うっそうと茂っていた島本邸には欅、椿などの大木は既にない。枯れ木が無造作に散らかり家屋はむき出しになっていた。哀しみのなかに怒りが無いわけではなかった。急な日程のため、都内近郊に在住の方にのみ連絡させて頂いた。数十年ぶりの訪問という方もいました。ご自宅の見納めに手を合わせられたことに感謝しました。
酔茗、久恵、惠也さんの遺影の隣に私が持参した融先生の遺影を置き、それぞれが持ち寄った花を供え島本邸ならびに故人とのお別れが出来ました
後日、管財人から知人名簿に代わる資料として、島本先生が保管していた「受取葉書、書簡類」一式が貸与され、雑誌「塔影」一揃を形見として受け取ることができた。
以上の経過を経て、多くの皆様方には初めて先生のご逝去をお知らせするとともに、形見として「塔影」を2冊ずつ同封させて頂くことができました。
昭和女子大「近代詩祖之碑」「河井酔茗碑」の改修事業
令和4年6月、「昭和女子大に河井酔茗の詩碑があり生徒が毎日掃除しているのでピカピカだが何が書いてあるか分からない状態です」と、河井酔茗と100通を超える書簡を交わしている詩人内田茜江氏の孫、内田かおるさんからの電話でした。この件に関して資料が残っていないので分かる人はいないという。
かおるさんは、祖父の蔵書を整理していて「除幕式のしおり」が目に入ったそうです。
そこで同女子大に対して榎本・内田連名で碑の改修事業について提案の親書を送り、榎本・内田・河井典子の3人で大学側と面会、相談しながら一年がかりで完成させることが出来ました。関東で唯一の「酔茗碑」が綺麗に蘇り、学生たちに碑の由来が分かるよう解説看板を新設しました。解説文は副学長吉田昌志教授の起稿で、母島本久恵、兄惠也、融先生のお名前も刻まれています。(榎本美恵子)

2022.03撮影 竹が伸び、白蓮が咲いた


旧 島本邸正面 2021.10撮影
河井酔茗・島本久恵からの歳月、
屋敷は巨木に覆われていた
島本邸屋外の風景。50年間私たちが見慣れたご自宅です。
酔茗、久恵、惠也、融先生が生活し、文士たちが集って、談論、執筆、編集した在りし日の「塔影詩社」です。雑木林に佇む庵。明治、大正、昭和の風情を残す先生がお気に入りの住居でした。
大木が聳え、竹が伸び、白蓮が咲き、秋の麒麟草が季節を告げた。「ゆずり葉」の樹は酔茗の代表作の題材となりました。
私たちが見た庭の「ゆずり葉」の樹。
融氏所有の河井醉茗、島本久恵宅の由来(内田かおる寄稿)
河井醉茗氏と島本久恵氏の次男、融さんが2021年に亡くなりました。ご家族がいらっしゃらなかったため、融さんの遺産は、国のものとなります。ご両親が残された家は解体され、土地も処分されることになります。
この家は、河井醉茗の簡素にして気品ある住宅を贈呈したいと思う発起人26人により、河井醉茗記念会を設立し、53人の賛同者により、580円の寄付を集め家を建てる金額にはならなかったものの、家の建築費の一部として贈呈されました。
日本詩壇の母河井醉茗氏のために
河井醉茗氏の生誕50年祝賀会する目的を以て、わたくし共発起人は、今春以来各種記念的催しについて協議いたしました結果、本来11月7日東京上野公園内精養軒において祝賀会を開催すること、簡素にして気品ある住宅を同氏に贈呈すること、他二三項を決定いたしました。
約35年間、同氏が詩人として終始し、現になほ詩作を続けてゐられることは、わが国の詩壇に於いては異数の例であります。また、『文庫』『詩人』『女子文壇』を主宰せられた20数年間に於いて、後身の誘導に努めらたことは、明治大正詩史の潜流を為すものであります。
しかも、散文精神の瀰漫とアメリカニズムの浸潤とを以て彩られた現代日本に於いては、詩人を遇すること極めて浮薄であり、冷淡であります。文学者が国家の年金を與へられ、詩人が公共の賞金によって、慰められ、社会一般の尊敬ご理解とを以て恵まれることの多い欧米の状況と比較して、憤りすらかんぜられます。わたくし共は、日本詩壇の母胎として、「若さ」と「高貴」とを失わぬ詩人として同氏に封し、50年の祝賀を機会にあらゆる経緯をご謝意を表したいと思ふのであります。
四五の記念的催しを実現するについては、わたくし共の微力を過分に合一して極めて菲薄であります。ここに大方の同情に訴へ純真の詩人に対する社会の正しい理会を明らかにし、同氏の老後を安らかしめたいと専念します。
上記の趣旨で河井醉茗生誕50年を祝賀する7項の記念事業を大正14年10月に、
生田春月、生田花世、今井邦子、板倉とり子、服部嘉香、西村眞次、外島劉、 千葉龜雄、岡田道一、大脇秋四郎、川路柳虹、武野藤介、高須芳次郎、中村吉蔵、窪田通治、山崎紫紅、松村栄一、小牧暮潮、有本芳水、鮫島武彦、北原白秋、溝口駒造、三木羅風、三宅やす子、本山萩舟、杉浦翠子(いろは順)の発起人で行うことが決まりました。
大正15年3月河井醉茗記念会による案内によると
1, 祝賀会 大正14年11月7日 上野精養軒
2, 記念講演会 同日築地小劇場にて詩人祭りとして開催
3, 記念詩集 現代日本詩選 アルス発行620頁定価3円50銭を献寄
4, 定本詩集 酔茗詩集
5, 家庭慰問 蓄音機並びに音譜を贈呈
6, 作品頒布会 酔茗詩の色紙、短冊頒布会
7, 住宅贈呈 簡素ながら気品あふれる住宅を贈呈する資金募集は、締切までの状況では実現の見込みがつきませんので、方法を改めて再募集し、その収受金を住宅建築費の一部として呈することといたしました。
第一回の締切報告によると53人の人たちが580円の寄付をおこなっています。
内訳は別紙にそえますが、北原白秋、窪田空穂、今井邦子、伊良子清白、三木露風、横瀬夜雨、山崎紫紅、薄田泣菫、高村光太郎などの方々が寄付されています。
最終的な会計報告の書簡はいまのところ調査中です。
この家は、上記のような明治の文人たちによる思いで建てられた家で、
このような形で国に処分されるとは、思ってもみなかっただろう。
河井酔茗生誕50年記念事業住宅資金
都河龍 50圓 石川武美 10 横瀬夜雨 10 雄谷嘉吉 5 久保周一 5
今井邦子 30 岡田道一 10 小牧武夫 10 松居松翁 5 楠山正雄 5
北原白秋 25 伊良子暉三 10 外島劉 10 福田正夫 5 生田春月 5
北原鐡雄 25 三谷為三 10 山崎紫紅 10 薄田泣菫 5 生田花世 5
大澤休象 25 澤村専太郎 10 三木羅風 10 眞渓 5 蒲原有明 5
有本芳水 25 高須芳次郎 10 川路柳虹 10 中山正次 5
千葉龜雄 20 内田素一 10 西村眞次 10 高村光太郎 5
松村栄一 20 板倉鳥子 20 大脇秋四郎10 米沢順子 5
久保田空穂15 鮫島武彦 10 本山 萩舟 10 藍沢ひとみ 5
服部嘉香 15 島木赤彦 10 平塚けい子 5 徳江道世 5
安成二郎 10 中村吉蔵 10 若山牧水 5 戸川貞夫 5
徳田秋聲 10 杉浦翠 10 若山喜志子 5 上司小剣 5 合計580圓
ご存命時の島本邸の風景



青空に銀色に輝く白蓮 鶯の鳴き声も聴こえた。
昭和13年新居に引っ越した御一家はこの部屋から
周りの景色を眺めた。
先生が梯子を使って屋根(樋)に詰まった落ち葉を掃除、教え子たちが下で支えた。
椿の樹は、毎年、真っ赤な花を咲かせた。
昭和60年頃まで使われていたポンプ(写真下)。
ご自宅と共に最期まで残されていた。横瀬隆雄さんが訪問した時、融先生から冷たい水を頂いた。